久しぶりに故郷へ帰って来た。私の生まれ故郷、美しいポクロフスコエ村は、昔からブリャンチャニノフ家の領地である。この村には樹齢数百年の古木が陰を落とす、厳かな佇まいの墓地がある。広く枝を張った木の下に、それを植えた人たちの遺骸が眠っている。私は墓地に行った。パニヒダの聖歌が墓地に響き渡った。悲しみの歌であり、心を慰めてくれる歌でもある。風が梢を渡り、木の葉はざわざわと鳴っていた。そのざわめきは聖職者の歌声に重なった。
永眠した――私の心にとっては生きている――人の名前が聞こえた。他界した母、兄弟姉妹、祖父、曾祖父等の聖名が読み上げられた。墓地は人気がなくひっそりしている。なんと不思議な、聖なる静けさだろう。なんと思い出深い場所だろう。実に不思議な、多年の命はここにあるのだ。私は神の霊感に満ちたパニヒダの聖歌に耳を傾けた。最初はひたすら悲しい思いに包まれたが、この深い悲しみも徐々に和らぎ、パニヒダが終わる頃には静かな慰めに替わっていた。教会の祈祷のおかげで、亡き人を悼む思いに属神の喜びが加わったのである。祈祷は、死者はやがて復活すると教えていた。そればかりでなく、死者は生きていると教え、死者の幸福を祈っていたのである。
先祖代々の墓は古木に囲まれている。広く張った枝は墓石のために豊かな木陰を作り、その下には何世代にもわたる親族一同が眠っている。思えば、地上における人の世代交代はちょうど木の葉が生え替わるようなものである。今かわいい青葉は静かな春風にそよぎ、無邪気な音で心を楽しませてくれる。ところが、秋が来ると黄色くなり、木から墓石の上に落ちて朽ちる。そして春になるとまた新しい葉が枝を飾り、やはり短い命を終えて消えるのである。
人の命とは何か。これも木の葉ほどはかないものではなかろうか。
1844年5月20日、ボログダ県ポクロフスコエ村にて