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   ある夏の日のことである。雲ひとつない晴天の青空に、いつも通り大きな太陽が昇っていた。修道院の至聖三者大聖堂を飾る五つの丸屋根の頂では、黄金の十字架が燦然と輝いていた。銀箔を施した丸屋根もまぶしい日ざしを反射していた。影を見るとわかるが、時刻は午前九時過ぎだった。午前十時は聖体礼儀の始まる定刻である。その日は主日か何かの祭日だったか覚えていないが、大勢の参祷者が大通りから静かな修道院へと急いでいた。

   この修道院には草地が隣接し、境内の東方に広がっている。一面にしなやかな夏草が生い茂り、のんきな野花が自由に咲き乱れ、思いのままに香っている。その日の草地はしっとりと露が降りていた。どの花にも、どの茎にも、どの小さな葉っぱにも無数の露のしずくが見え、一滴一滴は太陽をはっきりと映し出して太陽のように輝いていた。草地はまるで広く敷き詰めたビロードの絨毯のようである。この鮮やかな緑の絨毯は、色とりどりの宝石を数え切れないほど贅沢にちりばめてあった。色彩・光沢ともに優れた露の宝石がきらきらと光るのであった。

   これから聖体礼儀を執行しようとしていた修道司祭は、その時分、黙想にふけったまま修道院脇の人気(ひとけ)のない門[*1]を出て二、三歩進むと、広大な草地の前で足を止めた。修道司祭の心は静かであった。心の静けさに応え、自然も静けさに包まれて霊感に満ちていた。六月の美しい朝の静けさは大いに観照を促すものである。目の前には、澄み切った紺碧の空に太陽が浮かんでいる。広大な草地に降りた無数の露のしずくに無数の太陽が映っている。修道司祭の想いはどこか果てしない彼方へと消えていった。心は雑念を去り、特に属神の感銘を受ける準備が整っていたようである。修道司祭は前方の風景に目を注ぎ、空、太陽、草地、光り輝く露のしずくを眺めた。すると突然、心の目が開かれ、ハリストス教最大の機密の説明が見えてきた。この説明は、理解し尽くせないこと、説明しがたいことを説明し得るものであった。そこにある絵のように美しい風景が、生き生きと聖体機密をかたどり、説明するのであった。

   まるで誰かがこう語りかけるかのようであった。「ほら、見てごらん。微小だが清らかな露の一滴一滴は太陽を完全に映し出している。これと同じように、ハリストス正教会の一つ一つの聖堂にはハリストスが完全に臨在し、至聖所の宝座上に供えられる。ハリストスはそこで人に光を与え、命を与えてくださる。 ハリストスの聖体を領け、ハリストスにあずかる人は神の光、神の命にあずかり、自ら光となり、命となるのだ。露のしずくが太陽の光を受けて、自ら太陽のように光るのと同様である。朽ちるべき物質である太陽は、造物主の指揮によって創造された。造物主がいとも簡単にお造りになった太陽が同時に無数の水滴に映ることができるなら、偏在する全能の造物主は御自分の至聖なる尊体尊血として同時に無数の聖堂に臨在できないはずがない。主の命令と制定にしたがい、聖職者は各聖堂でパンとぶどう酒に全能の聖神が降るように祈り、人間の救いにつながる聖体機密を執り行う。この大いにして理解し尽くせない機密を介して、主は神性と結ばれた尊体尊血として完全に各聖堂に臨在するのだ」。

   奥義たる機密を執行する修道司祭は、深い属神の感銘を受けて自室に戻った。この感銘は、年月を経ても色あせることなく、今でもその日のごとく鮮やかなものとして心に残っている。何年も経った今、有益な教えを隣人の方々と分かち合い、その日の感銘を言葉にしようとペンをとったわけであるが、実にお粗末な出来栄えとなってしまった。ペンや言葉では、属神の奥義の直観を完全かつ正確に表現することなどできないのである。

   聖なる奥義の直観とは、心が聖なる奥義を観ることである。このような直観は、思いもよらないときに突然、精彩に富んだ、驚くべき絵として心の目に見えてくるものである。ただし心は、罪を悔い改め、独りで注意深く祈ることによって、奥義を観る準備が整っていなければならない。このような直観によって得た知識は実に明快であり、強く心に訴える力がある。また、豊かな生命力と不思議な説得力があって反駁の余地がない。奥義の直観というものは、人間の意のままになるものではなく、人間に与えられ、送られてくるものである。人間は自分から、自分自身の努力だけで属神の奥義を洞察しようとしても、とうてい無理である。あえてそうしようとする人は暗中模索する空想家となって必ず自己欺瞞に陥り、光と命を感じることもなければ人に与えることもない。奴隷の手足をつないだ鉄鎖が音を立てるように、こうした空想家の述べる考えも牽強付会の音を立て、奴隷状態や罪の汚れの音を立てる。奥義を観ることへの道は、絶えず罪を悔い改め、自分の罪深さを泣いて涙を流すことに他ならない。このような涙こそ、心の目の病をいやす薬なのである[*2]


1846年、聖セルギイ修道院にて


[*1]    この門のところには、後に神学者聖グリゴリイ聖堂が建てられた。
[*2]    黙示3:18。