魔関への言及は正教会の奉神礼の随所に見られ、楽園と地獄の所在地に関する教えと同様、一般に認められた教えであることがわかる。正教会が魔関のことを告げ、信者に思い起こさせるのは、魂の救いにつながる畏怖の念を抱かせ、この仮の世から永遠の命へと事無く移ることに備えさせるためである。
「凡そ正教を奉ずる者の霊が体を離れんとする時、我が主イイスス・ハリストス及び至浄なる生神女・主の母に祈る規程」[*1]には、こうある。「我が地より離るる時、我に妨げなく空中の侯(きみ)、虐ぐる者、苦しむる者、畏るべき途に立ちて強いて試むる者を過(よぎ)らしめ給え」[*2]。「我に形なき夷狄(いてき)の隊より逃れ、空気の淵より出でて、天に昇るを得せしめ給え」[*3]。「我が臨終の時、無慙(むざん)なる魔関の魁(かしら)、この世の君を、遠く我より駆り給え」[*4]。
自室で聖詠経を読むとき、それぞれのカフィズマの後で祝文を唱えることになっているが、次のような祈りの文句がある。「主、我が主よ、我に傷感の涙を与え給え、我がこれを流して爾に祈り、終わりの先におよその罪より浄めらるるを得ん為なり。けだし我は体を離れ、恐ろしくして厳しき所を通るべし、而して暗黒にして無情なる悪鬼の大数、我を迎えん」[*5]。「爾の純全を以て我を純全ならしめ、斯くして我にこの世を去らしめ給え、我も爾の恩寵に由りて留められずして暗闇の首領と権柄とを過ぎて、爾が近づき難き光栄の言い尽くされぬ美善を見ん為なり」[*6]。
生神女へのアカフィストの前の祝文では、こう唱えられている。「ああ、天地の王の母よ、我が諸罪の赦されんことを祈り、我が人生を矯正せしめ、臨終の時に空気中の諸敵を無難に過(よぎ)らしめ給え」[*7]。「人々の救いたる童貞女よ、爾に由りて死者は活かさる、爾は実在の生命を生みたればなり。先の唖者(おうし)は能(よ)く言う者と為り、癩者(らいしゃ)は潔(きよ)められ、諸病は遠ざけられ、空気中の悪鬼の大数は勝たる」[*8]。
八調経では、次のような祈祷が生神女に捧げられている。「神の母・童貞女よ、我が終わりの時に我を悪鬼の手、苦しき魔関、畏るべき詰問、残忍なる世君、及び永遠の定罪より脱(のが)れしめ給え」[*9]。――「至浄なる者よ、畏るべき時において我を悪鬼の詰問と、定罪と、火と、幽暗と、苦しみより脱れしめ給え」[*10]。――「童貞女、神の母よ、我が終わりの時我を悪鬼の手、畏るべき詰問と定罪、苦しき魔関と空気中の君、及び永遠の火より脱れしめ給え」[*11]。――「贖罪主の母、女宰よ、我が逝世の時、無知に因りて我が行いし事を空気中の鬼(き)に詰らるる時に、我を防ぎて護り給え」[*12]。――「神の聘女(よめ)、女宰よ、我が霊が肉体の縛りを解きてこの世の生命より離れん時、我の保護と為りて、無形の敵の謀を破り、その残酷に我を囓(か)まんと欲する口を摧(くだ)き給え、我が留められずして空中に立てる黒暗(くらやみ)の君を過ぎん為なり」[*13]。
「人が長く苦しむ時の臨終規程」では、こう唱えられる。「我が生命の時が悉く煙の如く消えし今、神より遣わされし使い等、我の前に立ち、我が不当の霊(たましい)を無慈悲に求む」[*14]。――「視よ、多数の悪鬼、我が罪の記録を持ちて我の前に立ち、大いに喚(わめ)きて、我が卑しき霊(たましい)を容赦なく求む」[*15]。――「神・全能者の至聖なる天使等よ、我を憐れみ、すべての凶悪なる魔関より脱(のが)れしめ給え」[*16]。
「守護天使に祈るカノン」にて。「我が卑しき霊が体を離るる時、悪臭を放つ暗黒の敵の顔が恥に覆われんことを求む」[*17]。「我が霊が身を離るべき時、爾が我が不当の霊(たましい)の右に立ち、残忍なる敵を追い払いて、我を連れて行かんことを求む」[*18]。――「爾、我が守護者に祈る、残忍なる世君の魔関を通る時、我が為に勝たれぬ戦士及び保護者と為り給え」[*19]。
奇蹟者聖ニコライへの第二の祝文には、「我が霊の出離する時、我当らざる者を助け給え、万物の造成主に祈りて、我を空気中の魔関及び永遠の苦しみより脱れしめ給え」とある[*20]。「空気中の魔関」から救っていただくようにとの願いは、ラドネジの聖セルギイなど、他の聖人への祝文にもある。
キエフ洞窟修道院の聖フェオドシイは、病気で体力が衰退して終わりが近づいたと感じ、床に就いてこう祈った。「神の旨成るべし、神の欲する如く我に行うべし。我が主宰イイスス・ハリストスよ、我爾に祈る、我が霊を憐れみ給え、敵なる凶悪の鬼(き)に迎えらるることなく、爾の天使等に携えられて、暗き魔関を過ぎ、爾が慈憐の光に導かれん為なり」[*21]。
また、ロストフの聖ディミトリイはこう祈った。「我が贖罪主よ、我が霊が身体を離れんとする恐るべき時、之を爾の手に受け、諸々の災いより守り給え、我が霊、凶悪なる魔鬼の暗き目を見ずして、諸々の魔関を無事に過ぎん為なり」[*22]。