この世の人生は短く、この世で手に入れた利益、名誉などはすべてはかない。人類の罪を贖った救世主に関心がなく、朽ちやすい物事に一身をささげ、罪に溺れた人の未来は恐ろしい。ゆえに、弱い人の心を魅惑するこの世から心の目を背け、誰も迎える死に目を向けることにしよう。死を見つめることは大変だが、救いにつながることである。前もって涙を流すことにしよう。涙を流し、罪を告白して、悪魔の記録に載った前非を消すようにしよう。聖神の恩寵を獲得するようにしよう。聖神の恩寵が人に宿ることは、その人が選ばれ、救われたしるしである。このしるしは、自由に空中を通って天の門に入り、天上の住まいに入居するために必要である。
人類が罪に堕ちているため、福音書はこの世での人の財産を「不正の富」と呼んでいる(ルカ16:11)。福音書の教えにしたがって、この「不正の富」を利用してたくさん慈善を施し、天上の富を得るようにしよう。この世の人生は、神から受けた大きな賜物である。この人生を利用して、神を知り、自己を知り、永遠の世に備えるようにしよう。これこそ、神によって定められた人生の目的である。時間を浪費してはならない。時間を正しく利用しよう。人生の時間は一度だけ与えられ、やり直しはできない。
楽園から追放された人類よ、われわれがこの世にいるのは、楽しんだり祝ったり遊んだりするためではなく、神を信じ、罪を悔い改め、十字架を背負うことによって、われわれを殺した死を殺し、失った楽園を取り戻すためである。
願わくは、主の憐れみにより、本書の読者も筆者もこの世に生きている間、死を思い、はかない万事には死んで永遠の世のために生き、死を迎えてもその苦さを免れ、死後には永遠の命、真の命の幸福にあずからんことを。アミン。