主教イグナティは永眠してから20日目の1867年5月19日、モスクワのアレクサンドラ・ジャンドル姉に現れた。同姉の体験談は以下のとおりである。
「主教座下が永眠されたとの報せを受け、深い悲しみに打ちひしがれました。神に祈っていても、悲しみはなかなか消えませんでした。主教座下が永眠され、精神的にひとりぼっちになってしまったという思いが絶えず胸裏にあって、耐えがたいほどつらかったのです。心身ともに疲れ果てて体調まで崩しました。こうして主教座下の永眠から20日経ちました。その日はモスクワのある女子修道院で領聖する予定でした。
悲しみは深すぎて、痛悔機密を受けるときにも聖体礼儀に参祷するときにも消えないほどでした。それが、主の恵みによって御聖体をいただくと、心は不思議な静寂に包まれ、主イイスス・ハリストスの名の祈りが生き生きと湧いてきました。主教座下の永眠を悲しむ思いもいつしか消えていました。
御聖体をいただいた後、王門の前から2、3歩下がり、修道院長の指示にしたがって左側のイコノスタスの前に立ちました。目の前に生神女就寝のイコンがありました。沈黙して心の中で祈っていると突然、故主教座下の顔が心の目に見えました。心の中のようでもありましたが、同時にすぐ目の前、つまり就寝聖像の生神女が横たわる床の辺に現れたのです。座下の顔は筆舌に尽くしがたいほど美しく、栄光に輝いていました。上から光で照らされ、特に頭の上部がまぶしかったのです。私はやはり心の中でその顔のほうから声を聞きました。いいえ、思いが伝わったといえばよいでしょうか。思いは全身全霊に伝わり、私を光と喜びに満たしました。このような不思議な以心伝心で、私は主教座下から次の言葉を聞きました。『今日は気分がいいでしょう。私はといえば、比較できないほどいつでも気分がいいのだから、私のことで悲しんではいけない。』
はっきりとそれを見聞きしたのです。面と向かって存命中の主教座下の顔を見、声を聞くようなものでした。心は言い尽くされぬ喜びに満ち、顔にも喜びの色があふれ、周りの人に気づかれたほどでした。聖体礼儀の後、パニヒダが始まりました。なんという素晴らしいパニヒダだったでしょう。いつもと変わらない死者のための悲しげな聖歌は属神の慶賀、えもいわれぬ喜びに満ちていて、永遠の命、永遠の幸福を祝う歌に聞こえました。その歌は、ハリストスの戦士が地上の戦闘の教会を去り、天上の凱旋の教会に新しく入ったことを賛美するものでした。私は心から喜んで祈り、復活祭のような気分でした。
その夜、ベッドに入ってもなかなか寝付かれませんでした。12時頃のことです。夜の静寂の中で、どこか遠くから何千人もの美しく調和した歌声が聞こえてきたのです。歌声は段々近づいてきて、聖歌の音がはっきりと聞こえました。やがて歌詞もはっきりしてきました。歌はこの上ない調和に満ちていて、全身全霊で聴かずにはいられませんでした。まるで復活祭の夜にモスクワ一円の聖堂の鐘が一斉に鳴ったような、豊かなバスが規則正しくうなり、柔らかくやさしいテノール、銀の鈴を振るようなアルトが一緒になって淀みなく響きました。合唱はまるで一人が歌っているかのように調和していました。歌詞は段々はっきりと聞こえてきました。『神の息吹に満ちたる主教品の飾り、修道士の栄え及び誉れよ』という言葉をはっきりと聞き取りました。それと同時に悟りました。それは天の霊界が主教イグナティを歓迎する歌だったのです。
思わず怖くなりました。それから、(悪魔に)惑わされないために、このような異象や異聴は無視しなさいと、主教座下が教えておられたことも思い出されました。私はイイススの祈りに精神を集中し、歌を聞くまいと一生懸命でしたが、そんなことなど関係なく合唱は歌い続けました。そこで、実際どこか近所で歌っているのではないかと思ってベッドから出て窓辺に行き、窓を開けてみると、辺りはしーんとしていて、東の空が赤らみ始めていました。
朝起きたら、夜の歌のメロディーだけでなく歌詞も思い出すことができたので驚きました。その日は用事がたくさんあったのに、夜の不思議な体験は一日中頭から離れませんでした。歌詞はところどころ記憶していましたが、全部はなかなか思い出せませんでした。夕方は晩祷に出ました。復活祭後第6主日の前晩祷で、聖歌隊は復活祭のカノンを歌っていました。でも、チュードフ修道院[*1]の素晴らしい聖歌隊が歌う復活祭の聖歌も、前夜聞いた歌とは比べものになりませんでした。
疲れきって帰宅し、ベッドに入りましたが、やはり眠れません。都会の喧騒が静まった12時頃、また同じ歌声が聞こえてきました。ただ、今回はもっと近くで鮮明に響き、歌詞も驚くほどはっきりと記憶に刻まれていきました。目に見えない聖歌隊はゆっくりと声高らかに歌いました。『正教の擁護者、悔改と祈りの秀逸なる実践者及び教師、神の息吹に満ちたる主教品の飾り、修道士の栄え及び誉れよ、爾は爾の書によりて我等衆人を諭せり。属神の笛、新たなる金口よ、爾の心に宿りしハリストス神言に祈りて、我等に終わりの先に悔改を賜わんことを求め給え。』
一生懸命イイススの祈りを唱えていましたが、今回は精神の集中が歌声のために乱れることはありませんでした。かえって心の祈りと聖歌は不思議に溶け合い、調和しました。この歌は天の住民たちが主教イグナティを歓迎する賛歌だとはっきり知りました。地と天の人であった主教イグナティは地から天に移り住んだのです。
3日目の5月21日の夜、やはり同じことが繰り返されました。まったく同じ感覚でした。この体験が3回繰り返されたことで疑問は晴れ、確信が生まれました。歌詞もメロディーもまるで昔から知っている聖歌のように記憶に刻まれました。メロディーはアカフィストのコンダクのような旋律でした。後日、どんな旋律だったか声に出して人に歌ってみたら、『それは8調だよ』と教えられました。」