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主教教区着任の挨拶

1858年1月5日、スタヴロポリ市主教座大聖堂にて


   「この市に平安」![*1]

   愛する兄弟の皆様、スタヴロポリ市と周辺の市町村に「天国は近づけり」と宣べ伝えるため[*2]、牧者の杖を手に、神によって救われる当市に到着し、主の命令にしたがって当市の平安をお祈り申し上げます。

   「天国」「神の国」はわれわれの「衷(うち)にあり」[*3]。天国とは、ハリストスの平安であります。神に服従して諸慾の嵐が静まった魂には神が君臨し、ハリストスの平安が君臨します。

   なお、ハリストスの平安は決してこの世の平和ではありません。主のお与えになる平安と、陥罪した世の与える平和とは異なるのです[*4]。俗な目的、悪い目的など、共通の目的があれば、人は一致団結することがよくありますが、この一致は長続きしないし、魂を害することになります。ハリストスの平安は聖なるもので、完全にハリストスにあるのです。心の中にハリストスの平安の種を蒔くには、神の言葉を読むことが必要です。蒔いた種が芽生えるには、ハリストスの戒めを実践して心の畑を耕すことが必要です。この耕しは目に見えませんが、苦労する仕事です。こうした仕事を進めていけば、ハリストスの平安は育っていきます。やがて聖神が働き、ハリストスの平安は完全なハリスティアニンの知・心・体を覆い、罪によって切り裂かれた三つを一つにしてくれます。このような人は自己の内に自己と和解し、陥罪前の人間のように不可分の一体となり、ハリストスの平安を通して神に結ばれます。愛する兄弟の皆様、われわれもこの平安を主イイスス・ハリストスから賜わりますよう、お祈り申し上げます。真の平安、聖なる平安を与えてくださるのは、主おひとりなのです。

   使徒の的を射た指摘では、神の平安はあらゆる人知を超えています[*5]。この平安がハリストスのためにわれわれの心と思いを守るよう、お祈り申し上げます。この平安が、われわれのこの世における行い、及びその行いによる永遠の行く末をハリストスのために守るよう、お祈り申し上げます。アミン。



[*1]    「家に入る時は、その安を問いて、この家に平安と云え」(マトフェイ10:12)。⇒「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい」(マタイ10:12)。
[*2]    「往く時宣べて曰え、天国は近づけりと」(マトフェイ10:7)。⇒「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」(マタイ10:7)。
[*3]    「神の国は爾等の衷に在り」(ルカ17:21)。
[*4]    「我平安を爾等に遺す、我が平安を爾等に与う、我が爾等に与うるは、世の与うるが如きにあらず」(イオアン14:27)。⇒「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:27)。
[*5]    「神の平安、およその知識に超ゆるものは、ハリストス・イイススにおいて、爾等の心と爾等の念(おもい)とを守らん」(フィリッピ4:7)。⇒「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:7)。