「これは我の至愛の子、我が喜べる者なり、彼に聴け」[*1]。
永遠の神・父の声は、人類に向かい、永遠の神・子についてこう告げられた。そのとき、子は父の御心にしたがい、聖神°の働きによって処女から生まれて人となり、滅びた人類の救いを成し遂げようとされていた。兄弟よ、われわれも神の御心に適い、神に喜ばれるため、神の言葉に従い、神の子に聴こう。
「神の子に聴きたいが、どうしてそれができようか。主イイスス・ハリストスが至聖なる教えを伝えて地上を歩まれたときから、すでに約二千年も経っているではないか」と反論する人がいるかもしれない。
いつもハリストスと共にあり、ハリストスの美しい声を聞き、命を施すハリストスの教えを糧とすることは、決して難しいことではない。主イイスス・ハリストスは、今もわれわれと共におられるからである。主は、聖なる福音にあってわれわれと共におられる。教会の聖なる機密によって、われわれと共におられる。どこにでもいる全能の神として、われわれと共におられる。限りなく完全な神にふさわしく、この上なく豊かにわれわれと共におられる。主は罪の虜(とりこ)となった人の心を解放し、聖神°の賜物を与え、多くのしるしや奇蹟を行うことによって、われわれと共にいることをはっきりと実証される。
いつまでも主に結ばれることはこの上ない幸せであり、聖なる仕事でもある。主に近づき、主に結ばれようとする人は、まず神の言葉をよく学ぶことからこの仕事を始めなければならない。つまり、福音を読んで学ばなければならないのである。ハリストスは、福音の中に秘められている。ハリストスは福音の中から語りかけ、働きかける。福音の言葉は「神°(しん)なり、生命(いのち)なり」[*2]。その言葉は肉の人を霊の人とし、罪によって殺された心を生かす。大いなる霊の言葉、聖神°の言葉を、あえてあなたの地を這う理性で解釈しないように注意しなさい。恐るべき神聖なる力に満ちた言葉を、あなたの死せる心に思い浮かぶまま、任意に解釈してはならない。
主の神聖なる教えを聞き、主によって生かされ、救われようとして主に近づく人は、主の前に立つ光の天使、ヘルウィムやセラフィムに倣い、深い畏敬、聖なる畏れを抱いて近づき、主の前に立たなければならない。へりくだることによって、あなたの立っている地を天としなさい。そうすれば、主は聖なる福音から、愛する弟子としてあなたに語りかけるであろう。また、聖神°の賜物を受けて福音を釈義した聖師父の著書を読み、これに導かれて福音を正しく理解するようにしなさい。
然るべき畏敬の念がなく、遠慮のない自信満々な態度で福音を読み、福音の中におられる主イイスス・ハリストスに近づくことは不幸である。主は、謙虚な人、心から罪を認め、自己の卑小さを自覚し、熱心に罪を悔い改める人を受け入れるが、高慢な人から顔を背ける。畏敬の念がなく、軽々しく無関心な態度で神の言葉を聞く人は、大胆に神を試す。主がそのような人から顔を背けることは、その人に永遠の死をもたらす。神の霊感を受けた長老シメオンは、人の子となった神・言について告げている。「視(み)よ、この子は置かれて、イズライリの中(うち)に衆(おお)くの者の頽(たお)れ又は興(おこ)るを致し、且つ駁論(はくろん)の号(しるし)とならん」[*3]。神の言葉は「石」、計り知れない大きさと重さの石である。「この石の上に倒るる者は壊(やぶ)られ」、すっかり打ち砕かれる[*4]。
兄弟よ、慎み深く神の言葉を聞き、それを実行するようにしよう! 天の父の命令に従おう。本日、天の父は、御自分の至聖なる言(ことば)について、「これは我の至愛の子、我が喜べる者なり、彼に聴け」と、聖なる福音から告げられた。彼に聴こう! 彼に聴こう! そうすれば、われわれも世々に天の父に喜ばれるであろう。アミン。