目次
第3章
修道生活とは福音書の戒めにそって生きること
古代の克肖なる修道士は、修道生活を福音的生活と呼んだ。階梯者聖イオアンは、次のように修道士を定義する。「修道士とは、いかなる時・所・場合も、神の誡め、神の言葉を唯一の指針とする者である」(1章4節)。聖大パホミイに師事した修道士は、福音書を暗記するように義務づけられた(Vie des pères des deserts d’Orient par Michel Ange-Marin。ヴォローネジの聖ティホンは福音書と聖詠経を暗記していた)。その目的は、神人の法令が、いつも開けたままの本のように、常に記憶にあり、知力の目の前にあり、心に書き記されて、より実行しやくなることである。サロフの福なる長老セラフィムはこう語った。「心がいわば主の律法の中を泳ぐことを覚えなければならない。主の律法の指示にしたがって、自分の人生を進めなければならない」(訓戒2)。福音を学び、行い・言葉・思いによって福音の命令を行うようにすれば、あなたは主の命に従い、正教会の道徳律に従う。福音は、いま幼児であるあなたをやがてハリストスにあって成人させ、霊感を受けた預言者が次のように詠った「福なる人」にしてくれるであろう。「悪人の謀に行かず、罪人の途に立たず、壊乱者の位に坐せずして、其の心を主の法に置き、昼夜此の法を思念する人は福なり。彼は水辺に植えたる木、期(とき)に及びて其の果を結び、其の葉萎まざる者の如くならん、彼は其の作す所皆之を遂げん」(1聖詠1〜3節)。真に神に仕え、神の民となった人々に対し、聖神°は「我が民よ、我が法を聴き、爾の耳を我が口の言に傾けよ」(77聖詠1節)と告げられる。
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