福音書の誡めを生活の土台に置くと共に、できる限り誘惑を離れた修道院を居住地として選ばなければならない。我々は弱く、罪によって損なわれている。誘惑が目の前にあれば、罪によって損なわれている我々の心は必然的に誘惑に感銘し、それなりの印象を受けることになる。この印象は、最初のうちは気づかなくとも、人の内に発展し、強化すれば、その人を支配し、滅びに追い込むこともある。また、誘惑の印象が速やかに働き、誘惑される人を不意打ちして、一気に知力をくらまし、心の姿勢を変え、修道士を倒して大罪に陥れることもある。聖大ピメンは次のように述べている。
「罪の原因を離れるのは良いことである。罪を犯すきっかけが身近にある人は断崖の上に立つ人に似ており、敵はいつでも容易に彼を淵に転落させることができる。なお、我々は身体によって罪のきっかけを離れていれば、断崖を遠く離れた人のようになる。敵が我々を淵に落とそうとして引いても、引かれていくうちに抵抗し、神の助けを得ることができる」(アルファベット順聖師父言行録)。
罪の原因、罪のきっかけ、誘惑とは次のことである。すなわち、酒、女、富、(過剰の)健康、権力、名誉である。「これらはそもそも罪ではないが、これらが原因で我々の本性は容易に罪に傾くものである。それゆえ、人は自分をこれらから守るように注意すべきである」と、シリアの聖イサアクは述べている(57説教。この説教には、56説教に引き続き、罪の原因について述べられている)。聖師父は、俗人の間で名声を博した修道院を居住地として選ぶことを禁じている(アルファベット順聖師父言行録のアウワ・ジノンの格言)。その修道院に共通した虚栄心は、必然的に一人一人の修道士にも伝染するはずである。実例が物語るように、修道院が物質的に優れていることだけでなく、俗人が修道院の規則を特に敬虔なものとして高く評価することも、その修道院の諸兄弟(その修道院に居住する全ての修道士や見習い)が自惚れにつながることもある。その結果、他の修道院の兄弟を軽蔑するようになるが、高慢というものはまさにそのことにあり、このような者は修道士として上達することができなくなる。修道士の上達は、隣人を愛し、隣人の前にへりくだることに基づいているからである。
誘惑が少しずつ修道士に作用し、気がつかないうちにやがて修道士を支配し、大罪に陥れる一例として、次の物語を紹介しよう。
「エジプトのスキートには、重い病気にかかり、兄弟に看病してもらう長老がいた。長老は、兄弟が自分のために苦労しているのを見て、兄弟に迷惑をかけないように、人里の近くに引っ越すことにした。師父モイセイ(おそらく、スキートの師父の中でも判断力に富み、霊的恩賜を豊かに持っていた、と克肖なるカッシアン(Collatio 1)が評するモイセイのこと)は『淫行に陥らないように、人里の隣に引っ越さないほうがよい』と長老に言った。長老はその言葉に驚き、心を痛め、『私は身体が死んだが、あなたはそんなことを言っているのか』と答えた。長老はモイセイの言うことを聞かず、人里の隣に引っ越した。長老のことを知った住民は大勢見舞いに来るようになった。ある若い女性がその一人であった。長老は女性を癒した(女性は何かの病気であり、長老は奇蹟を行う恩賜があったようである)。しばらくの後、長老は女性と罪を犯し、女性は妊娠した。里の住民が『子供の父親は誰だ』と聞くと、彼女は『長老です』と答えたが、信じてもらえなかった。長老は『父親はこの私だが、生まれる子供を大事にしてください』と言った。子供は生まれ、母乳で育てられた。そのうち、スキートの或る祭日、長老は子供をおんぶしてスキートに来て、諸兄弟が集まった中、教会に入った。兄弟は彼を見て泣いた。長老は兄弟に『この子をご覧なさい。不従順が生んだ子だ』と言った。その後、長老はもとの部屋へ行き、神に痛悔を捧げはじめた」(祭日略解、7月22日)。
修道士が面と向かって誘惑の前に立てば、誘惑はこれほど強い力を持つものである。病気を癒す恩賜は、淫行に陥ることを防がなかった。老年、病気、長年の修道生活によって罪に対して死んだ身体は、頻繁な誘惑の作用を受けて、生き返ったのである。
罪の原因が修道士に瞬間的な作用を及ぼし、その知力をくらまし、心の姿勢を変え、罪に陥れる一例として、また教会の説話を紹介しよう。「ある市の主教が病気にかかり、危篤状態となった。その土地には女子修道院があった。修道院長は、主教の危篤を知り、二人の姉妹(修道女)を連れて見舞いに来た。主教と話をしているうち、主教の足元に立っていた一人は手で主教の足に触れた。主教は淫らな思いが激しく燃え上がった。慾は狡猾なものである。主教は、身辺の世話をしてくれる人が足りないと言って、その姉妹を残して自分につけるように修道院長に頼んだ。修道院長は、何も変だとは思わず、姉妹を残した。主教は、悪魔の働きによって体力が回復し、修道女と罪を犯した。修道女は妊娠した。主教は引退して修道院に隠居し、痛悔して生涯を終えた。神は主教の痛悔を受け入れ、奇蹟の能力を与えられた」(アルファベット順聖師父言行録)。
我々はこれほど弱いのである! 誘惑は我々に対してこれほど強い影響力があるのである! 誘惑は、聖なる預言者(サムエル記下11章)、聖なる主教、聖なる致命者、聖なる隠遁者を大罪の淵に転落させた。ましてや、慾に支配され、力の弱い我々は罪の予防に万全を期し、誘惑の影響から自分を守らなければならない。修道士の慾は飢えており、守らずに放置すれば、鎖から放された猛獣のごとく、狂ったように欲求の対象に食いつくものである。