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第10章

修道生活に関する聖師父の著書は慎重に読むべきである


修道生活に関する聖師父の著書は、極めて慎重に読むべきものである。新人修道士は、決して自分の状態に合わせて書物を応用することができず、必ずその書物の方向に流されることがわかっている。書物が静寂に関する忠告を提示し、誰もいない荒野で豊かな実を結ぶことができると教えているなら、新人は必ず独りで誰もいない荒野に隠遁したいという強烈な願いが生まれるであろう。聖神を宿した師父に導かれて無条件に従うことを教える書物であれば、新人は必ず長老に完全服従して厳格な生活がしたいという願いが生まれるであろう。神は、我々の時代には、これらの生活様式をどちらも与えてくださらなかった。ただし、新人は、これらの生活様式について書かれた聖師父の書物に強く影響されて、まだ経験が浅いので、生き生きと思い描いた完全な生活という魅惑的な、実現不可能な夢のため、今の修道生活の場を捨てようと決意することもあるほどである。今の場でも福音書の誡めを行うことによって容易に救いを得、霊的に上達することができるにもかかわらずである。階梯者聖イオアンは『静寂についての講話』ではこう述べている。「善き兄弟〔共住修道院の修道士〕の食卓の傍には常に或る犬が立っており、食卓からパンすなわち魂をとろうとし、それからそれを口にくわえて逃げ、独りの場所で貪り食う」(27章)。また、従順についての講話ではこう述べている。「悪魔は、服従に生きる者に不可能な徳行の願いを吹き込む。また、静寂にいる者にも同様に不相応な行を勧める。未経験な見習いの考え方を


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